9月9日(土)は、年に一度の「明智回想法センターまつり」でした。今回で17回を迎えました。時代は移り、催しの内容もやり方も少しずつ変わってきましたが、ただ一つ変わらないものは、回想法を通じて皆さんと繋がっているということです。コロナ禍だった3年間は、以前のように事が進まず試行錯誤の連続でしたが、近頃ではまた以前の明智回想法センターまつりが戻ってきました。
まつり開幕は、明智読み聞かせの会によるオカリナの演奏、曲は「見上げてごらん夜の星を」と「里の秋」の参加者全員での合唱でした。次に明智町が生んだ日本洋画界の先駆者、山本芳翠(やまもとほうすい)の紙芝居、題名は「志高く生きた人郷土の先人 山本芳翠」。嘉永3年、現在の恵那市明智町野志に生まれ、京都・横浜・東京・フランスのパリと絵の勉強にいそしみ、明治39年に亡くなるまで日本の洋画界をけん引した人です。現在残っている絵は、宮内庁と岐阜県立美術館に保管されています。紙芝居も会で話し合ってできたもので、躍動感溢れる人物として描かれていて、見る者の心にも訴えるものがありました。あまり知らない人でも紙芝居を見れば興味がわくことでしょう。
次に、懐かしの部屋巡り~懐かしのモノ発見!恵那市が生糸の生産地でもあり明智に生糸の銀行蔵(現在は資料館として残っている)があったことから養蚕をテーマにし、大きな桑摘籠(桑の葉が30キロ入る)・お蚕繭・生糸・糸巻機などを並べて回想をしました。皆さん昭和15年前後生まれの参加者でしたが、幼い頃に手伝わされた経験から、繭をお湯に入れて、5本どり・7本どり・10本どり、それぞれの太さの糸を糸巻機に巻く手つきは、知らないものでもすぐ何をやっているしぐさかわかるくらい体が覚えているようでした。また「お蚕様が卵・毛蚕(ケゴ)から1齢幼虫から5齢幼虫まで脱皮を繰り返し、さなぎが繭を作り、その間雨が降っているようにザワザワと音を立てていた」と、話が飛び交っていました。中には、「お蚕は「お蚕様」(おかいこさま)と言って、様を付けて呼んでいた」、「養蚕の時期は、どの部屋もお蚕様が占領してしまって、寝ている自分の顔の上に落ちてきて、それがヒヤッと冷たかった」などと言われる方もありました。また、前筆の桑摘籠を小学校の頃かついだと、会場で腰を90度に折り曲げた格好を披露してくださる方もありました。きっと、力強いお子さんだったのでしょう。
続いて、当回想法センターの管理者でもある、日本福祉大学の来島修志先生による講演会「認知症予防のためのきょういくときょうよう」がありました。認知症予防の原則として、生活習慣病の予防、有酸素運動、知的活動、コミュニケーション、社会との絆(社会参加)の大切なことについて、体を動かしたり、考えたり、昔を思い出したり、好きなことや新しいことの社会活動を行うなど、生きがいとしてやり続けることの大切さをお話しされました。そして回想法を体験することによって脳の活性化につながることや、毎日の生活の中で、自分は社会で役立っているという自己肯定感、仲間づくり、世代間交流、今日行くところがあり今日の用事を持つことの大切さを学びました。
写真と文 吉田あけみ
※シルバー総合研究所は、恵那市明智回想法センターの管理運営を行っています。