思い出歳時記 止まらな〜い話「テレビ・ラジオの思い出」
・親父は機械に強かったので近所の人からラジオを作ってくれと言われることもあって、よく真空管やコンデンサーを一緒に買いに行きましたね。それでラジオを組み立てて渡してましたね、売ってたのかあげてたのか分かりませんが。スピーカーなどの部品を組んだまま、箱などは被せずに裸で渡してましたよ。私は文系なのでそういうのには全く興味はなかったですね。親父がやっているのを見てはいましたけど、自分ではやらなかったですね。親父は器用だったので、柱時計なども直してました。私にはそういうのは受け継がれませんでしたね。昔のラジオは聞こえない時は横を叩くと聞こえるようになりましたよ。箱を被せない裸のラジオは埃を被るので取ってましたね。(大口さん)
・我が家にテレビがいつ来たか覚えがないんですけどね。色のついたガラスかプラスチックのようなカバーをテレビの画面に被せるとカラーになるというのがありましたよ。テレビは高価な物だったので、見ない時は布を被せてましたね。昔は家にアンテナは立ってませんでしたから、トンボの羽のようなアンテナをテレビの上に立てて、電波がキャッチできる方向に向けてましたよ。テレビもラジオと同じように映りが悪い時は横を叩くと映りが良くなりました。プロレスをよく見てましたね。(日比野さん)
・昔は家に風呂がなかったので銭湯に行ってましたが、その銭湯にテレビを置き始めるようになったら(自分が)風呂に行ったきり帰ってこなくなったので、(何度かそれが続いたため)ある時家に帰ったらテレビが置いてありました。銭湯のテレビに映ってる映像をずっと友達と見てたんですよ。NHKの人形劇を見てましたね。辻村寿三郎の里見八犬伝をよく見てました。(…阪本さんご主人)
・NHKの人形劇はよく見てました。ひょっこりひょうたん島は月曜から金曜までやってたのでずっと見てました。(…阪本さん奥様)
記録者名:森本貴大
感想:子どもにとって新しいものに強い好奇心を抱いて釘付けになってしまうというのは今も昔も変わらないのだろう。お話を聞いて、私も小学生の頃に電化製品やゲーム機器を扱うお店の前でパソコンやゲームに映る映像をずっと見たり操作したりしていたことをふと思い出した。銭湯のテレビの映像というのは、社会に電子機器自体がまだほとんど普及していない当時の子どもからしたら非常に目新しいものだったに違いない。
(チャットより)
・「プロレス」や「相撲」、「君の名は」を見るのが楽しみだったとの事です。
・親に「人さらいが来るよ!!」と脅されて泣いた事を思い出したそうです。
・「ご飯だよー!」の声が遊びはおしまいの合図だった、と。
・大口さんのいきいきしたお顔が印象的で素敵ですね!
・ありがとうございました。また来月を楽しみにしています。