思い出歳時記 止まらな〜い話「師走~年の瀬の思い出」
紡績工場の女工さんたちが商店街で歳末の大売り出しに買い物に来ていました。私が外で寒い中風呂を焚いていると、お富さんの歌が聞こえてきたのをよく覚えていますね。風呂は五右衛門風呂で、中蓋を踏んでゆっくり入っていくんですよね。慎重にやらないとひっくり返っちゃう。(大口さん)
年の暮れになると正月用の服をお袋が縫ってくれたんですよ。普段洋裁をしてまして、その時の背広の生地の端切れが僕の服になったんですよ。おにゅうの服が着られてうれしかったですね。雑巾などは自分で縫いました。小学校高学年の頃にミシンが電動になりましたけど、それまでは足で踏んでやってましたね。(阪本さん)
門松を立てたんですね。緑の枯れない木でソヨゴの木、松の木、なんてん、笹の葉を山から切ってきて、土もバケツに入れて持ってきて、その土に刺して縄で巻いて。それを(12月)28日あたりにやって、明けて4日に、子どもの役割だったんですけど、それを全部集めて第1日曜日にどんど焼きをしました。(市川さん)
市場で福引がありましたね。回して玉を出すのじゃなくて三角くじだったような気がしますけど。福引の内容が思い出せないのは当たったことがないからかな。(日比野さん)
記録者名:森本貴大
感想:五右衛門風呂や門松、お富さんなど、今ではもう忘れられつつあるもの、減ってしまったものがお話に出てきた。私の幼い頃も年末になるとマンションの入り口に門松が立てられていたが、その風習もいつしかなくなった。逆にクリスマスツリーを飾る慣習は今でも残っている。『お富さん』には「お釈迦様」が出てくるが、現代の商店街で年末に聞こえてくる曲はクリスマス関連のものばかりで、釈迦が出てくる余地は全くなさそうである。都市と地方の違いもあるだろうが、お話しくださった皆さんが子どもの頃から現在までまだ100年も経っていないのに、ここまで文化・風習が変容してしまったのかと驚く。日本の古くからの文化・風習が消滅しつつある現代に育った私の世代以降が年を重ねて年末の思い出を語ったらクリスマスの話題ばかりになるのだろうか。そう思うと少し寂しくなる。